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  • 2018.03.20 Tuesday

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    税金は感謝(お礼)のしるし

    • 2018.03.20 Tuesday
    • 16:41

     “春は名のみの風の寒さ”に身をすくめて百花の春はまだほど遠いかと思えば、一転して春爛漫を感じさせる陽気に心軽やかになる、まさに三寒四温のこの頃です。皆さんお元気でお過ごしでしょうか。

     

    最近の相談では、税金に対する不満の声が増えてきたように感じます。
    頭から税金は払いたくない、いやだ。気分が暗くなる。相続税がかかる、所得税がかかる、財産をはぎ取られる気がする。税金を払うぐらいだったら……などなど、税金を取られた、損をしたと思っている方が多いようです。しかしここにきて、ふるさと納税で寄付をされた方々などは、寄付金控除による節税に加えリターン商品などもあり、お得感覚で喜んで納税できるケースも増えています。考えてみれば、納税できるということはその人の暮らしが成り立っているという証(あかし)のようなものです。税金は、生活経済において重要な役割を担っており、税金を払う人にとってもその税金でサービスを受ける人にとっても大切なものです。そうとわかっていても、総論賛成、各論反対となるのが世の常です。


    そもそも『税金』とは何か、漢和大辞典で調べると「税・ゼイ」は、国家や支配者が人民の収入や収穫の内から抜き取って徴収するものを意味する“みつぎ(貢)”や“ねんぐ(年貢)”のこと、あるいは、それを取り立てることとなっています。
    近世では、田畑や土地から徴収するものを租(そ)と言い、品物や収入からとるものを税と言っていたそうで、年貢は1割が理想とされましたが、現実には田租は5割から6割となっていたそうです。
    「租」や「税」の漢字の部首はいずれも“のぎへん(禾)”ですが、この「禾」は、いな穂が丸く垂れた形を描いた象形文字で「いね」の意味を表します(漢語林)。それぞれのつくりは、

     

    •【租】……「且」は、そなえ物の象形で、稲のそなえ物、みつぎものの意味(漢語林)。お供えをするための「まないた」の意味(字統)。
    •【税】……「兌」は、ぬけおちるという意味。「八(はぎとる)+兄(頭の大きい人)」で構成された会意文字で、人の着物をはがして抜き取るさまを表します。自分の年間の収穫の中からぬけおちる穀物の意味から、租税の意味を表します(漢語林)。

     

    漢字の意味からみてみると「租」や「税」の字源は、神様に農作物をお供えした意味から生じていることがわかります。中国の殷・周時代の古代中国でも、租税は神を祀るための祭祀料として徴収されていたと云われています。

     

    −日本の税の誕生−
    弥生時代(紀元前3世紀ころ〜紀元後300年ころ)日本の税に関する最古の記録
    「魏志倭人伝」に日本の税に関する最古の記録があります。「魏志倭人伝」とは通称で、中国の三国時代(184年〜280年)の歴史書「魏書」のうち、魏の国より東に住む倭国(日本)について書かれたものです。有名なのは「漢委奴國王印」の金印・邪馬台国卑弥呼などの記述です。「魏志倭人伝」は漢語で書かれていますが、その和訳と租税の歴史についての記述を、吉野ヶ里歴史公園の「弥生ミュージアム」のサイトから一部を紹介します。
    (魏志倭人伝・和訳)

    … 人の寿命は、あるいは百年、あるいは八〜九十年で、その習俗は支配身分の者はみな四、五人の妻をもち、一般の村民でも二、三人の妻をもっている。婦人は淫らでなく、嫉妬もしないし、盗みもなく、争いごとも少ない。法を犯せば、軽いものは妻子を没官され、重いものは家族と一族が殺される。身分の上下の秩序はよく守られ、十分に臣服している。租税、賦役を収め、そのための建物(倉)がたてられ、国々には物資を交易する市があり、大倭に命じて、これを監督させている。…

    この訳にある「租税、賦役を収め」という部分が、日本における税の最古の記録だとされています。原文では「收租賦」と書かれ、税の詳細は不明ですが、税を納めるための建物(原文では「邸閣」)があったとされています。実際に吉野ヶ里遺跡では大型の高床倉庫群が発掘されており、この倉庫が、魏志倭人伝に書かれたような「税を納めるための建物」だといわれています。また、「魏志倭人伝」では邪馬台国の女王・卑弥呼は、シャーマン(祈祷師)として描かれています。この古代国家は宗教的な要素を色濃く持っており、その国家を維持するために税が徴収されていたのです。


    日本における税の起源は、日本の神道信仰にあると考えられています。神道信仰では、収穫をもたらしてくれた神に対してその収穫物の初物を「初穂料」として捧げます。豊作のお礼に収穫の一部を感謝の意を込めて神棚に貢ぐ、捧げる、これが税や利子(果実)の起源であるとされているのです。
    「弥生ミュージアム」の説明によると、「租」はその起源を「初穂献納儀礼」と結びつけて考えています。初穂献納はその年に収穫した稲の初穂を神・祖霊に捧げる農耕儀礼です。吉野ヶ里遺跡には祖霊を祀ったと考えられる北墳丘墓があり、その近くにクニの倉と見られる倉庫群と市があったことからも、弥生時代の租税は祖霊を祀る祭祀と深く結びついており、ムラムラからクニの祖霊に初穂を捧げる儀礼の一環であったと考えられています。
    このように、古代では先祖をまつる信仰と税とは密な繋がりがありました。税の原点とはつまり、実りへの感謝の気持ちであり、お礼(お返し)なのです。それが現代では穀物などの実り(収穫物)からお金へと代わっているだけです。

     

    −税の確立期− 古墳から飛鳥時代(300〜700年)
    天皇制の確立と公地公民、それまで皇族や豪族が支配していた土地や人民を、国家が支配しました。それが大化の改新(645年)ですが、日本に統一的な税制が初めて確立したのは701年の大宝律令の制定からだといわれています。「大化の改新」では、新しい税の制度を含む政治の方向が示され、税金が社会制度のなかに初めて組み込まれました。その後の大宝律令では、班田収授の法により、人民には田を与える(口分田)代わりに、租・庸・調という税のほか、雑徭という労役が課され、税制の仕組みができました。

     

    −税の変遷期− 奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸時代
    奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸時代まで色々と変遷してきましたが、近代明治以降お金が主な納税の手段となりました。

     

    −国民・国家のための税制へ− 昭和25年以降
    (民主主義時代の税制の確立)

    憲法の規定にあるように、国民には納税義務があります。戦後の税制は日本が民衆主義国家として長期的・安定的な税制としの確立を図るため、昭和24年にシャウプ使節団が来日し、シャウプ勧告書を提出しました。この勧告書の基本原則が同25年の税制改正に反映され実行されました。その税金の使途は、国全体の為だけではなく、国民の一人一人の生活や安全・安心にも還元されると定義されています。冷静に考えると、今の暮らしの基礎となる部分は必ず公的機関等が税金を使って維持されているのがわかります。税金は寄付金と同じです。多く払えば多く払うほど多くの人の役に立っているというのが事実です。

     

    「税金」をその字だけでとらえると、収穫の一部(売上げや収益)をお金で抜き取るという意味から、はぎ取られるような悪いイメージがありますが、税金を支払うことは、本質的には前述のように暮らしが成り立っている証拠ですし、それに対するお礼、他人への寄付となります。
    人は思いや考え方で幸せ感を享受できるもの。税金に不愉快な思いをするより、税金の本質を理解して気持ちよく満足できるように税金を払うという考え方もあります。もちろん節税もFPにとって大切な要素です。それは結果的にキャッシュフローに影響するからです。
    税金を気持ちよく払うことは、徳(得)を積むことになります。せっかく払う税金なら、その税金の価値(役割り)を知っていたほうが、払った人が満足感を味わうことができるでしょう。
    「大切な実りからはぎ取られる」と考えるか、「実りに対する環境へのお礼として貢ぐ(寄付)で他人を救う」と考えるか? どちらを皆さんの心は選ぶでしょうか。是非、相談者に伝えていただきたいと思います。
    土 屋 拝❚

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